旭川地方裁判所 事件番号不詳 決定
主文
検察官の別表(一)記載の供述調書二四通並びに別表(二)記載の実況見分調書三通及び「凶器投棄現場引当報告」と題する書面の取調べ請求をいずれも却下する。
理由
第一被告人の本件各供述調書等の証拠能力に関する弁護人及び検察官の主張
一 弁護人
1 被告人の別表(一)記載番号1の供述調書は、いわゆる違法な別件逮捕、勾留中に違法に獲得した自白を録取したものであり、さらに、別表(一)記載番号2ないし24の被告人の各供述調書並びに別表(二)記載の実況見分調書三通及び「凶器投棄現場引当報告」と題する書面(以下別表(二)記載の各書面を「本件各実況見分調書等」という。)は、右自白に基づいた違法な逮捕、勾留中に作成されたものであるからいずれも証拠能力がない。
すなわち、被告人は、業務上横領事件で昭和五七年八月一七日逮捕され、引き続き勾留のうえ、同年九月七日勾留のまま起訴された後、本件殺人事件で同月一六日逮捕され、勾留のうえ起訴されたものであるが、別件の業務上横領事件については、被告人は昭和五六年一一月六日に旭川警察署に出頭して、右事件について供述し、その旨供述調書も作成されていたもので、当時の捜査当局はこれを刑事事件としないとして被告人を逮捕しなかったものであるところ、その後、捜査当局において、昭和五七年八月に至って、本件殺人事件の取調べに利用する目的で逮捕、勾留の必要性がない右業務上横領事件で被告人を逮捕、勾留したうえ、同年九月七日同事件で公訴が提起された後にその起訴後の勾留を利用して、本件殺人事件について被告人から自白を獲得し、さらにその自白に基づいて被告人を本件殺人事件で逮捕、勾留したものであり、その間の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等は、前記のとおり違法な別件逮捕、勾留中及びこれに続く違法な逮捕、勾留中に作成されたものであるからいずれも証拠能力がない。
2 被告人の別表(一)記載の各供述調書中の司法警察員作成のものは、いずれも連日にわたり、長時間かつ深夜にわたる取調べや、取調べの警察官から暴行を受けるなどして、衰弱し、体調を崩した被告人の状態を放置し、あるいはこれを利用し、かつ被告人を誘導するなどして得られた自白を記載したものであるから任意性がなく、また右各供述調書中の検察官作成のものにおける自白は、警察官による右の取調べの影響を受け、警察官に対する供述を繰り返したに過ぎないものを記載したものであるから、これらについても任意性がなく、結局被告人の本件各供述調書はいずれも証拠能力がない。
二 検察官
1 被告人にかかる業務上横領事件は昭和五四年から昭和五六年にわたる多数回に及ぶものであるところ、被告人を業務上横領事件で逮捕、勾留したことについては、その犯行回数、被害の程度、犯行の手口、態様などに鑑みると起訴するに十分値する重大な事案であるうえ、被告人と事件関係者とのつながりや事案の規模に照らすと被告人には業務上横領事件について罪証隠滅と逃走のおそれがあり、被告人を逮捕、勾留する理由及び必要性があったものであり、かつ、右事件の起訴前の勾留中は同事件についてのみ被告人を取調べ、本件殺人事件についての取調べは全くなされていないのであって、この点からも本件殺人事件について取調べる目的をもって別件の業務上横領で逮捕、勾留したものでないことは明らかであり、また本件殺人事件については、昭和五六年になされた業務上横領で起訴した後に同事件についてなお未解明な横領による利益の分配、起訴済の同年一〇月一六日の横領による利得分配の事実関係、同月三一日の大豆横流しの事実関係について被告人を取調べる過程で被告人が自白したため、これに基づいて被告人を本件殺人事件で逮捕、勾留したものであって、業務上横領事件による逮捕、勾留は違法な別件逮捕、勾留ではなく、またその後の本件殺人事件による逮捕、勾留も適法なものであって、その間に作成された別表(一)記載の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等はいずれも証拠能力に欠けるところはない。
2 被告人に対する取調べ中、取調べの警察官が被告人に暴行をはたらくなど強制、拷問あるいは脅迫に及んだことはなく、また取調べ時間についても、昭和五七年九月一一日は午後一時ころから午後一一時ころまで、同月一二日は午前一一時ころから翌一三日午前零時ころまで、同月一三日は午後零時二〇分ころから翌一四日午前零時三五分ころまで、同月一四日は午前九時二五分ころから午後八時ころまで取調べが行われているが、これは横領による利益の分配、昭和五四年と昭和五五年分の横領の事実及び当時昭和五七年九月一九日で勾留期間の満了する勾留中の横領大豆の買受人の賍物性の知情の点を解明する必要があってなされたものであり、被告人もこれに任意に応じ、かつ、被告人の当時の健康状態には特に問題はなく、取調べに差し支える状態ではなかったのであるから、長時間の取調べをもって任意性がないとはいえず、従って、別表(一)記載の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等中の指示説明に任意性が欠ける点はない。
第二当裁判所の判断
一 本件殺人事件の発覚から起訴までの経緯等
一件記録によれば次の各事実が認められる。
1 本件殺人事件の発覚と捜査の開始
昭和五六年一〇月三一日午前八時ころ、旭川市緑町二〇丁目所在の日本通運株式会社旭川支店近文営業所(以下「日通近文営業所」という。)一階宿直室において、同社から委託を受けて同社の運送業務を行なっていたA(当時五五歳)が頸部から多量の出血をして死亡しているのが同営業所の従業員らによって発見された。
即日、急報で駆け付けた旭川警察署警察官らによって同営業所及びその付近一帯の実況見分及び検証が行なわれた結果、死体下部及び周辺に多量の血液が付着し、死体のあった宿直室に無数の飛沫血痕が認められたほか、右宿直室から裏口に至るまでの間の台所、作業員休憩所の床などに血痕が点々と続いていること、同営業所の裏口にある屋外に通じる引戸の鉄製棒差込み式の錠は前夜最後に同営業所を出た従業員が施錠したにもかかわらず、鉄製棒が錠の穴から抜け落ちていたことが判明し、さらに、同日午後に行なわれたAの死体解剖の結果、同死体には左内頸静脈、左総頸動脈を切断する長さ八センチメートルの刺切創等があり、死因は失血死であることが明らかとなった。
そこで、捜査当局は、Aが何者かによって殺害されたものと断定し、現場には物色の跡らしいものもあるが現金も残っていたことから痴情怨恨による犯行の可能性もあると考え、日通近文営業所の従業員、Aの取引関係者、知人等から事情を聴取するなどの捜査を開始した。
2 業務上横領事件の発覚からその起訴に至るまで
(一) 日通近文営業所の取引関係を捜査するうち、Aの取引先で知人のBなどの供述から、Aは、昭和五四年から昭和五六年にかけて、同営業所の自動車で小樽市の北日本倉庫港運株式会社(以下「小樽北倉」という。)から右Bが代表者である株式会社B商店に大豆を多数回にわたり運搬し、右Bから、右大豆の対価として昭和五四年四月から一〇月まではAの愛人の実父名義の預金口座に、昭和五五年一月から昭和五六年一〇月までは愛人の友人の実父名義の預金口座に振込送金を受けていたことが明らかとなり、さらに、右Bから捜査当局に右の事実が明らかとなったことを知らされ同年一一月六日旭川警察署に出頭した被告人の供述によって、Bから前記各預金口座に振込まれた金員は、いずれも当時C油脂株式会社(以下「C油脂」という。)の営業副部長で同社の原料用大豆の保管及び出庫等を担当していた被告人が、Aと共謀して、小樽北倉からC油脂の工場に原料として搬入することになっていた大豆の一部をひそかにB商店に売却して得た代金に当たるものであることが明らかとなり、同年一一月中にはBから前記各預金口座に振込まれた回数と金額も判明したが、捜査当局としては、当面Aの殺害の件の捜査に当たることとし、また同時期に重要事件が相次いで発生して忙殺され、右の大豆の業務上横領事件の捜査はしばらく中断していた。
(二) しかし、本件殺人事件の捜査は難航し犯人を特定できないまま推移し、昭和五七年四月ころからは捜査方針としてAの取引関係に重点を置いて事態の打開を図ることとし、特に前記の経緯で明らかとなった被告人とAとが共謀のうえ行なった大豆の業務上横領事件について、小樽北倉、C油脂、日通近文営業所などの関係者、Bなどから事情聴取して洗い直した結果、同年七月から八月上旬ころには、昭和五四年四月の一回目から昭和五六年一〇月一六日までの間の横領全体の手口、規模等の概要が判明した。そこで、捜査当局は、同じころ大豆横領の被害者であるC油脂の代表者であるJに捜査によって収集した資料を示して、判明した横領の全貌を教示し、同人より昭和五七年八月一一日付で昭和五六年一月九日から同年一〇月一六日までの間の一八回の横領(昭和五七年九月七日付起訴分)の被害届一通を、同年八月一二日付で、昭和五四年四月一二日から同年一二月一八日までの間の一〇回の横領と、昭和五五年一月二二日から同年一二月一六日までの間の一九回の横領(いずれも昭和五七年一〇月三〇日付起訴分)の被害届二通の提出を受けた。
(三) 捜査当局は、そのうえで昭和五七年八月一六日、昭和五六年の一八回の業務上横領事件について被告人に対する逮捕状の発布を受け、昭和五七年八月一七日右逮捕状を執行して被告人を逮捕したうえ、同月一九日から旭川警察署留置場を勾留場所とする勾留(あわせて接見禁止決定もなされた)と勾留延長を経て、同年九月七日被告人に対して、逮捕、勾留事実である昭和五六年の一八回の業務上横領について公訴を提起した。右事件の第一回公判期日は昭和五七年一〇月一日と指定された。なお、右事件につき同年九月九日に国選弁護人が選任されたが、同月二七日、被告人により当時取調べ中の本件殺人事件とともに私選弁護人の選任がなされた。
3 本件殺人事件の起訴に至るまで
被告人は、昭和五七年九月七日に昭和五六年の業務上横領について起訴された後も引き続き旭川警察署留置場に勾留され、昭和五七年九月一四日の取調べの際警察官にAの殺害を自白するに至り、その際に作成された供述調書(別表(一)記載番号1)等を資料として発布された逮捕状によって同月一七日逮捕され、さらに同月一八日勾留され(あわせて接見禁止決定もなされた)、勾留延長を経て、その間本件殺人事件に関して別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書と本件各実況見分調書等が作成され、同年一〇月七日本件殺人事件につき公訴を提起された。
4 昭和五四年及び昭和五五年分の業務上横領事件による起訴に至るまで
昭和五七年一〇月七日に本件殺人事件につき公訴が提起された後は、同年九月七日起訴分に含まれていなかった昭和五四年と昭和五五年の大豆の横領合計二九回につき昭和五七年一〇月一三日、同月一六日、同月一九日警察官により、同月二六日検察官により被告人の取調べが行われ、右各日付の供述調書が作成された後、同月三〇日右業務上横領につき公訴が提起された。
二 供述調書等の証拠能力
本件において取調べ請求のなされている別表(一)、(二)記載の各証拠のうち被告人の司法警察員に対する昭和五七年九月一四日付供述調書が最初に作成されたものであるところ、前記のとおり被告人は、同月七日、昭和五六年分の業務上横領で起訴された後、昭和五七年九月一六日本件殺人事件により逮捕され、同月一八日右事件で勾留され、同年一〇月七日に右事件により起訴されたものであるので、以上の供述調書等については、作成時期の点から、同年九月一六日の本件殺人事件による逮捕前に作成された供述調書と右事件の逮捕、勾留中に作成された供述調書等に分けて検討する。
1 本件殺人事件による逮捕前に作成された供述調書の証拠能力
(一) 供述調書の作成の経緯
一件記録によれば、この間に作成された供述調書は九月一四日付の司法警察員に対するもの(別表(一)記載番号1)であり、その内容は被告人がAを殺害したことを認める趣旨のもので、本件殺人事件に関する被告人の最初の自白であり、右自白に至る過程は次のとおりである。
(1) 被告人は、業務上横領事件により起訴された後も引き続き旭川警察署留置場に勾留されていたが、同年九月一一日午前九時三〇分ころから午前一一時三〇分ころまで被告人に対してポリグラフ検査が被告人の承諾のもとに実施された。しかし、その質問事項は横領に関するものは少なく、多くは本件殺人に関する動機、侵入口、逃走口、殺害の手段、方法、凶器等についてのものであった。但し、その結果は、横領、殺人いずれについても陰性であった。
さらに同日午後一時三〇分ころから、それまで業務上横領事件について被告人の取調べを担当してきた旭川方面本部捜査課に所属する警察官添岡睦雄、同鷹觜正による取調べが始まり、この日は午後一一時三〇分ころまでポリグラフ検査の時間を含めて約一二時間、次いで同月一二日は午前一一時から翌一三日午前零時五分まで約一三時間五分、同月一三日は午後零時二〇分から翌一四日午前零時三五分まで約一二時間一五分、同月一四日は午前九時二五分から午後八時四分まで一〇時間三九分それぞれ被告人に対する取調べが行なわれた(なお、取調べ時間には、留置場の監房と取調べ室間の往復に要する時間を含む。また留置場における起床時間は、前夜の取調べ終了時間と関係なく午前六時三〇分であった)。
そして、この間被告人は、業務上横領、殊に昭和五六年一〇月一六日の分の分け前の授受の有無に関連してAとの関係を追及され、昭和五七年九月一三日までには結局、右分け前をもらっておらず、このことでAといさかいが起ったことを認める供述をし、翌一四日午前零時三〇分ころに至って、ひと晩考えさせてもらいたい旨述べ、明けて同日午前九時三〇分ころからさらに追及を受けた結果、午前一〇時五〇分ころAを殺害したことを認め、同日のうちに昭和五六年一〇月一六日の横領分の分け前をAからもらうことができなかったので、同月三〇日電話でAに支払を催促するとともに大豆の横領をやめることをほのめかして文句をつけると、逆にAからこれまで被告人が会社の大豆を横領してきたことを暴露する旨脅かされたので、自己の横領の発見を恐れ、翌三一日、日通近文営業所に侵入してAを殺害した旨の自白をし、これを内容とし、被疑事件を殺人とする別表(一)記載番号の供述調書が作成された。
なお、昭和五七年九月一一日から被告人の事件を担当する係官からの指示によって、旭川警察署留置場係官は、被告人の動静を監視し、留置人動静簿にその結果を記入することとなり、以後これは被告人につき本件殺人事件の公訴が提起される同年一〇月七日まで続けられた。
(2) ところで、被告人は、昭和五七年九月一一日からの取調べの状況について、当公判廷において要旨次のように供述する。すなわち、「タバコは、それまでの取調べでは吸いたければ吸うことができ、取調べの時間が長びけば、手足も動かすことが許されたが、この日(昭和五七年九月一一日)からは、タバコは吸うことは許されなくなり、椅子に一定の同じ姿勢で座っているように言われ、長時間同じ姿勢でいたため膝などが痛くなって手足を少しでも動かすと、取調べの警察官から注意された。取調中、取調べの警察官二名(添岡睦雄、鷹觜正)から、頭を小突かれたり、手刀で首の後ろの部分をたたかれたり、また手の甲で胸をたたかれる、平手で頬を打たれるなどの暴行を受け、たたかれた胸のあたりはその後一週間ばかりは痛みがあり、留置場の係官から二度にわたり湿布をもらって胸に貼った。また、警察官に相当大きな声で怒鳴られ、人殺し呼ばわりされた。そのため、このような取調べが長く続くようだと自分としては耐え切れないと感じていたところ、殺人につき自白した昭和五七年九月一四日は朝から吐き気を催しゲーゲーやるような状態であるにもかかわらず、取調べの警察官により留置場の監房から取調べ室に連行され、取調べられたので、耐え切れなくなり、早く楽になりたい、一応自白だけして裁判で話を聞いてもらおうと考え、自白した。犯行に至る経緯、犯行状況などについては警察官からヒントが与えられた。同月一八日の検察官の取調べ(逮捕後検察官送致時の弁解録取)の際犯行を否認したが、その後の警察官の取調べでは一旦否認したものの、また自白する前のような取調べを受けることになればとても耐え切れないと考え、結局犯行を認める供述をした。」(以上は第一八回公判で留置人動静簿が証拠として取調べられる前の被告人の供述。以下はそれ以降の供述。)「長時間、身動きしないで椅子に座るよう強いられたので、その取調べの後一週間か一〇日間くらいは歩行困難で、びっこを引いて歩いていた。自分は身体が疲れたときには目にくるが、目薬をもらったのは、非常に疲れていて、目が悪かったからだ。また、ひどい下痢が続き正露丸をもらった。自白した九月一四日の朝その日の取調べの前に運動場でタバコを吸うととたんに吐き気を催し、留置場の洗面所でからあげし、房に戻ってからも激しくからあげした。これを取調べの警察官には訴えなかったが、警察官は自分がゲーゲーやっているときに取調べ室に連れて行ったのであるからこの状態を知らないわけはない。」旨述べる。
一方、被告人の取調べに当った警察官添岡睦雄及び同鷹觜正は証人としていずれも要旨次のとおり供述する。すなわち「昭和五七年九月一一日からの被告人に対する取調べの際被告人の頭を小突いたり、手刀で首の後ろをたたいたり、手の甲で胸をたたいたり、平手で頬を殴るといった暴行を加えたことはなく、怒鳴ったり、人殺し呼ばわりしたこともない。また、同月一四日の朝被告人を房から取調べ室に連れて行くとき、被告人はひどく思い詰めたような顔をしていたが健康状態は普通で、吐き気を催している様子はなかった。そしてこの日被告人は自白したとたんからあげを始めたが、しばらくすると収まり被告人も大夫丈と言い顔にも赤味がさしてきたので、取調べを再開した。同月一七日の取調べのとき被告人が服の上から左胸あたりを触っていたので、理由を尋ねると胸がちょっと苦しいのでと答えたが大夫丈と言い、自分で湿布をはがして丸めて捨てたのでそのまま取調べたが、上司の指示で翌朝医師の診療を受けさせた。」旨述べる。
また、被告人が本件殺人事件で取調べを受けているころ、旭川警察署留置場に在監したり、被告人と同房であった者らは、証人として要旨次のように供述する。
検察官請求の証人であるDは「昭和五七年九月二九日までの三週間留置場にいた。夜、留置場の外から物音、人の声が聞こえてくることはなかったが、自分は寝つきのよい方で就寝時間(午後九時)には横になり、それほど時間がたたないうちに眠れた。」旨、Eは「昭和五七年九月一〇日から九月二〇日まで留置場にいた。夜、留置場にいて、その外から物音や、取調べの声と思われるような声が聞こえてきたことはない。」旨、Fは「昭和五七年九月一一日午後九時過ぎに旭川警察署留置場に入り、同月一三日昼すぎに出た。留置場にいて、夜、取調べの声でないかなと思われるような声が外から洩れてくるということはなかった。怒鳴っていると感じるような声が洩れてくることもなかった。同月一一日に自分より遅く留置場に一人入ってきたが、午後一〇時ころのことだった。同月一二日午後一〇時ころ留置場に入ってきた人がいた。自分の記憶ではそのほかはいない。」旨述べる一方、弁護人請求の証人であるGは「昭和五七年九月初めころから約一か月弱旭川警察署留置場に勾留されていたが、その間一時少年一号室で被告人と同房となり、その後他房に移された後看守から、被告人が少し弱っているので、以前同房だったことのある自分に様子をみるようにと言われ、再度少年一号室で被告人と一緒にされた。被告人は食欲がなく衰弱しており、左胸を痛がり、さかんにさすったり、せき込み、看守に湿布をもらって貼っていた。また夜遅く、留置場の監房で、『おい』、『こら』、『うん』、『お前やったんだべ』という被告人を取調べていると推測される声を聞いた。」旨、Hは「昭和五七年七月下旬ころから九月二六日ころまで旭川警察署留置場に勾留されていたが、留置場の房内にいるとき、夜中、真上の方から言葉は聞き取れないが、怒っているような怒鳴るような声が聞こえてきた。被告人が深夜まで激しく取調べを受けていることは房内では有名な話であった。運動のとき被告人は吐き気を催していたので、どうしたのと聞いたら、胸をたたかれたと言っていた。」旨、Iは「昭和五七年六月から同年一〇月七日まで留置場にいた。被告人とは、九月中ごろ同房となった。被告人は入ってきたときあんまり具合が悪そうな顔をしていたのであまり話をしなかった。被告人は朝食はほとんど食べず、苦しそうにして胸か胃かを押えるようにして横になることが多く、見かねた自分は看守に一、二回申し出たが、看守からもう少し待つと調べる人が来るからそのまま我慢してくれというようなことを言われた。屋上の運動場で被告人と一緒に運動をしていたときも、胸が急に具合い悪くなったという感じで、胸を押さえながら壁に寄り掛かってしゃがみ込んだということがあり、吐き気を催し、からあげし、房でも吐き気で涙を流すのを見た。起床後の部屋の掃除は、被告人の身体があまり丈夫でないように見えたので自分がしていた。また、就寝後何度か、上の方から怒っているような男の声が聞こえ、被告人が取調べを受けているのではと噂をした。」旨述べる。
ところで、前記留置人動静簿には、被告人の健康状態等に関して、次の記載が認められる。すなわち、
九月一四日、一:四五、長時間かかって大便する。
同月一五日、九:一五、寒いと申し立てたので着替えを実施。
同月一六日、二〇:二〇、胸が少し痛いので、シップ薬を下さいと申し立てたので、備付の物を与えたところ、ひざも少し痛いと申し立て、自分で左胸に当てた。
同月一七日、一九:二〇、シップ薬と目薬が欲しいと言うので与えた。
同月一八日、八:三五、板倉院長の診断を受ける、診療簿のとおり措置不要。一四:二〇、弁護士を早く選任し今の自分の気持を話したい。一五:四〇、両腕を胸に置き腹まで毛布をかけ仰向けになって寝ている。
同月一九日、六:三〇、起床する、本人からおはようと声をかけてきたので眠れるかと聞いたところ、うとうとですと答えた。
同月二〇日、二三:三〇、目薬を要求したので与えた。
同月二二日、一五:三〇、健康診断を実施する、異常なし。二三:一五、目薬が欲しいと申し立てたので与えた。
同月二三日、八:三五、腹が痛くなりかけたので予防のために下さいと言うので正露丸三粒を与えた。
同月二五日、七:五五、正露丸を欲しい旨申し立てたので与えた、少し下痢ぎみですと申し立てた。一八:〇八、ちょっと下痢ぎみですので正露丸を三粒下さいと申し立てたので与えた。
同月二六日、二一:〇五、今日検事調べがあった、検事の前だと疲れる等と話していた。
同月二七日、八:四〇、下痢ではないが腹の調子が悪いので正露丸を下さいと申し立てたので三粒与えた。
同月二九日、〇:一五、今日はうるさい人は入っていないでしょうね、きのうはうるさい女の人が入ってきたので眠れなかったと申し立てた。
一〇月二日、一一:四五、最近食欲が出て来て食事の一時間位前には非常に腹がすくと申し立てた。
同月四日、二二:二七、目薬を要求したので与えた。
同月六日、〇:四五、目薬を要求したため事務室に於て点眼させた。
同月七日、二一:〇〇、目薬を要求したので与えた。
次に当裁判所の検証の結果によると、次の事実が明らかである。
旭川警察署取調べ室は、同署一階北側にあり、一号から七号まで七室あり、同署留置場は右各取調べ室の下にあたる同署地下一階北側にあり、監房は一三室、少年用房二室、婦人用房二室のほか保護室がある。被告人の取調べに使用された取調べ室は一号及び七号取調べ室であるが、両取調べ室の窓の部分については内側から、また出入口扉については内側からその全面(出入口扉についてはかなりの厚みのある合板)に、その外側からは換気孔部分にそれぞれ合板が張られているほか右一号取調べ室に隣接する二号取調べ室の一号取調べ室との隔壁の全面に合板がそれぞれ張られている。これは昭和五七年九月二〇日と二一日の両日にわたって施工された。実験の結果、一号及び七号取調べ室から大声を発しても留置場内ではほとんどその音声は聴取できないが、一号及び七号取調べ室にそれぞれ隣接し、いずれもその開口部分に合板の張られていない二号及び六号取調べ室から、一〇三ないし一一一ホーン程度の大声を発すると取調べ室と監房の窓をともに閉めない限り、房一三号室あるいは少年一号室では少なくともその語調がわかる程度にその音声の聴取が可能である。(右の取調べ室の改装が被告人の取調べに用いられたものに限られていること、その時期が、被告人が殺人について九月一四日に自白した後、はじめて犯罪事実を内容とする供述調書の作られた同月二三日迄の間に行われていること、その改装が取調べ室の唯一の明り取りである窓を合板で完全に塞ぎ、また、出入口の扉については内側から全面に合板を張ったうえ、扉の換気口の部分にはさらに外側から合板を張っていること及び後記認定のとおり、取調べ室の下に位置する留置場に在監していた者らの間で被告人に対する取調べが話題になっていたことなどを考え合わせると右の改装は被告人に対する取調べの音が外部に洩れるのを防ぐことを直接の目的としたものである疑いが極めて強い。)
そして、以上の留置人動静簿の記載に符合する部分があるほか、検証の結果とも矛盾せず、その供述内容が具体的で迫真性のある前記被告人の留置場における様子や夜間人を大声で追及するような声を聞いたとの点に関する前記同房者らの供述は十分に措信しうるものであって、これらの証拠によれば、被告人の、取調べの状況、健康状態等に関する供述は、これを虚偽のものとして排斥することはできないのであって、以上の証拠を総合すると、
昭和五七年九月一一日以降の被告人の健康状態および取調べ状況は、初めて本件殺人を自白した同月一四日の朝はかなり疲労しており、吐き気を催し、胃の中身は出さないで嘔吐するいわゆるからあげをする状態にあり、取調べに入っても吐き気があり、自白したとたんにからあげを始めたこと、同月一六、一七日の前後ころには胸の痛みや膝の痛みを訴え、右両日の二回留置場の係官から湿布をもらってこれを胸部に貼り、これを見とがめた取調べの警察官の手配によって医師の診断を受けたこと、同月二三日、二五日、二七日には、下痢や腹痛あるいはその予感を訴えて薬(正露丸)をもらったこと(同月二五日には朝晩の二度)、また、同月一七日、二三日、同年一〇月四日、六日、七日には目薬を係官に求めたこと、したがって、被告人は、自白の前後を通じかなりの程度疲労し、健康状態も思わしくなかったものと認めることができるうえ、被告人は、その取調べ状況等に関する公判廷における供述に多少の誇張があることは否定できないにしても、同年九月一一日から被告人が最初に殺人について自白する同月一四日までの取調べにおいて、それまで吸うことができたタバコを吸うことも許されなくなり、取調べの警察官から大声で怒鳴られるなどして殺人事件について自白を迫られ、頭を小突くあるいは胸をたたくなどの暴行を受けたり、長時間不動の姿勢を保つことを強いられた疑いが極めて強いものといわざるをえない。
(3) 以上のとおり昭和五七年九月一一日からの警察官による被告人の取調べの状況は、被告人は、同年九月一一日から従前許されていた喫煙も禁じられ、連日長時間にわたり深夜に及ぶまで椅子に不動の姿勢で座らされ、取調べ官から頭を小突かれたり手で胸をたたかれるなどの暴行を受けたほか、大声で怒鳴られ殺人事件について厳しい追及を受けた疑いが濃厚であり、また同年八月一七日に逮捕されて以来二五日間身柄を拘束されてきたこともあって、心身ともに疲労した状況にあったものであって、これらの事実を前提とすると、被告人は、前述のような取調べを受ける過程で、九月一三日の深夜取調べの終わる段階では、翌日以降の取調べにおいては自白せざるを得ないように相当追い詰められた心理状態に達しており、翌一四日の警察官に対する自白は、このような心理状態に基づいてなされたもの、換言すれば、九月一一日から一三日までの間警察官による前記認定のような取調べ方法がとられていなかったならば、九月一四日における自白はなされなかったと認めるに十分であり、すなわち、警察官による右のような取調べと右自白との間に因果関係があると認めることができる。
(4) なお、昭和五七年九月一一日からの被告人に対する取調べ目的について検討する。
一件記録によれば、業務上横領事件については前記のとおり昭和五六年一一月の時点で被告人が自ら出頭して供述したことやその他の捜査の結果、事件の概要は既に判明していたものであるが、その手口、態様、関係者の数、重要な役割を果した共犯者のAの死亡の事実などの事情に照らし、業務上横領事件について被告人を逮捕、勾留する理由及び必要性が存したことは明らかであるうえ、昭和五七年八月一七日に業務上横領事件で逮捕し、勾留、勾留延長を経て、同年九月七日に右事件で公訴を提起するまでの間には、本件殺人事件についての取調べが被告人に対し行なわれたことはなく、もっぱら逮捕、勾留事実である業務上横領の事実についてのみ取調べが行なわれたこと(このことは、被告人自身公判廷で自認するところである。)などの事実からすると、捜査当局に業務上横領事件による逮捕、勾留を直ちに本件殺人事件の取調べに利用する目的または意図があったものと即断するにはいささか躊躇させる事情も認められる(したがって、業務上横領による逮捕、勾留がいわゆる違法な別件逮捕、勾留であったとまではいえない)のであるが、しかし一方、捜査当局が業務上横領事件によって被告人を逮捕するに至ったのは、右事件が発覚してから九か月余りも経過した後であり、前記のとおり右事件全体の規模等の概要はかなり前から判明していたにもかかわらず、本格的な捜査に着手したのは本件殺人事件の捜査に行き詰まってからであること、被告人につき業務上横領事件で逮捕状を請求した昭和五七年八月一六日までには右事件全部について逮捕できるだけの資料が揃っていたにもかかわらず、全部について請求をしないで、昭和五六年の横領一八回についてだけの請求をし、残りの昭和五四年及び昭和五五年の横領二九回については追起訴分として起訴後の勾留による取調べを当初から予定していたとみられるのに、昭和五七年九月一一日からの取調べにおいては、昭和五四年及び昭和五五年の横領について直接的な取調べが被告人になされた形跡がないこと(昭和五七年九月七日以降同月一四日までの間に業務上横領を被疑事件とする供述調書は全く作成されていない)本件殺人事件については、被告人が同月一四日に自白するまでは、犯人と被告人とを結びつける資料はなく、右以前には被告人を本件殺人事件により適法に令状の発布を求めて身柄を拘束するにいたるだけの資料を収集しえていなかったことが認められ、これらによれば捜査当局が当初から業務上横領事件による起訴後の勾留を利用して被告人に対し本件殺人事件の取調べをなす目的または意図をもって業務上横領事件で被告人を逮捕し、勾留のうえ起訴したのではないかとの疑いはなお払拭しきれないのであって、これに被告人の取調べにあたった警察官添岡睦雄及び同鷹觜正の「九月一一日からの取調べは、被告人がAと大豆の横流しをやって深くかかわっていることから大豆の横流しの関係とあわせて殺人事件と関連しているかどうかを解明する目的で行なわれたもので、横領による利益の分配、昭和五六年一〇月一六日及び一〇月三一日の横領の事実関係について追及するうちに昭和五七年九月一四日殺人事件について自白した。」旨の証言、前記認定のように昭和五七年九月一一日から被告人について留置人動静簿の記載がなされるようになったこと、被告人への追及が、前記のように長時間で深夜に及ぶかなりの程度厳しい取調べの中で本件殺人事件について自白を迫るものであったことをあわせ考慮すると、昭和五七年九月一一日からの被告人への取調べは、単にすでに起訴済みの業務上横領事件の補充的な捜査や追起訴予定の業務上横領事件の捜査にとどまるものでは到底なく、本件殺人事件と被告人を結びつける資料がなく、被告人を本件殺人事件により適法に令状の発行を求めて身柄を拘束するにいたるだけの資料を収集しえていなかった捜査当局において、業務上横領事件と本件殺人事件の関連性に疑いを抱き、この点に着目し、業務上横領事件による起訴後の勾留を利用して被告人に対し本件殺人事件について取調べ、その自白を得る目的のもとに行なわれたものと認めざるを得ないのである。
(5) 次いで、被告人の本件殺人事件における被疑者としての地位について検討する。
被告人に対する昭和五七年九月一一日から一四日までの四日間にわたる本件殺人事件の取調べは、前述のとおり別件の業務上横領事件の起訴後の勾留中に、本件殺人事件について逮捕、勾留することなく、いわゆる余罪の取調べとして行なわれたものである。
ところで、被告人を当該被告事件以外の被疑事件について取調べることは刑事訴訟法一九八条一項の規定に照らして許されるところであるが、その被疑事件につき逮捕、勾留されていない以上、その取調べは任意捜査であり、被告人が取調べを受けるかどうかはあくまでも任意であり、取調べ開始後も何時でもこれを拒むことができることになる。したがって、当該被告事件について逮捕又は勾留されている場合でも、右被疑事件の取調べは、取調べ時間、方法等の点において身柄不拘束(在宅)の被疑者を取調べる場合に準ずるよう配慮しなければならない。
これを本件においてみると、被告人に対する昭和五七年九月一一日から一四日に至る取調べは、右の場合にあたるから、取調べ時間や方法等の点で在宅被疑者に対する任意捜査に準じた配慮が払われるべきものである。
(二) 以上の事実関係をもとにして、被告人の司法警察員に対する昭和五七年九月一四日付供述調書の証拠能力について判断するに、同月一一日から一三日までの三日間にわたる取調べは、すでに身柄を拘束されて以来二五日を経過し、心身ともに疲労している被告人に対し、被告人と本件殺人事件とを結びつける資料がなく、本件殺人事件についての令状を得ることができないのに、本件殺人事件についての取調べを開始し、警察官二名が在室した状態で連日深夜に及ぶ長時間にわたる取調べを行ない、その間、厳しい追及、説得等を継続し、さらに右の取調べにおいては、被告人に対し、不動の姿勢を強い、頭を小突くあるいは胸をたたく等の暴行を加えた疑いが極めて強いのであって、右の取調べは身柄不拘束の被疑者と同じ立場にある被告人に対するものとしては、許容された限界を越えた違法なものといわなければならず、その違法の程度は相当重大であって、このような違法な取調べによって得られた前記司法警察員に対する供述調書は、憲法三一条、三八条一項、二項の趣旨に照らし、証拠能力を欠くものといわざるを得ない。加えて右の取調べ方法は、被告人に対し自白を強要するに等しいものであるといわざるを得ず、同月一四日の自白は任意性に疑いがあるものであり、右自白を録取した前記司法警察員に対する供述調書は、この点においても証拠能力を欠くものである。
2 本件殺人事件による逮捕、勾留中に作成された供述調書等の証拠能力
(一) 供述調書等の作成の経緯
一件記録によれば、次の事実が認められる。
被告人は、昭和五七年九月一四日の自白を録取した供述調書を被告人と本件殺人事件とを結びつける唯一の疎明資料として請求された本件殺人事件の逮捕状により同月一六日逮捕され、同月一八日右事件で勾留されてから一〇月七日まで二〇日間旭川警察署留置場に勾留され、その間に別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書及び被告人の立会い、指示説明に基づく本件各実況見分調書等が作成された。
この間被告人は、同年九月一八日本件殺人事件により、検察官に送致された際の検察官による弁解録取に対して、また、同日行なわれた旭川簡易裁判所裁判官による勾留質問に対して、さらに、その直後に行なわれた警察官に対する取調べに対して、Aの殺害を否認したほかは、これを認め、また認めることを前提とする供述をした。
(二) そこで、以上のような事実関係のもとに、右の期間に作成された本件殺人事件に関する各供述調書及び本件各実況見分調書等の証拠能力について判断する。
本件殺人事件についての被告人の逮捕、勾留は、前記のとおりその作成過程に違法があるため司法審査の資料として用いることが許されない被告人の前記九月一四日付の司法警察員に対する供述調書が被告人の犯罪の嫌疑を疎明するための唯一の資料として用いられることによってなされたものと認められるから、右の逮捕、勾留はいずれも違法な身柄の拘束にあたるものである。
ところで、憲法三一条、三八条一項、二項の趣旨に照らすとき、かかる違法な逮捕、勾留状態中における取調べによって得られた供述及びこれを録取した供述調書、その供述を基にして収集された証拠は、その収集過程に違法があるものとして、証拠能力がないものと解するのが相当である。
したがって、本件殺人事件による逮捕、勾留中に作成された別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書及び本件各実況見分調書等はいずれも証拠能力を欠くものというべきである。(なお付加するに、本件殺人事件による逮捕後起訴までの被告人に対する取調状況は別表(三)取調状況一覧表記載のとおりであり、前記のとおり被告人は疲労し、体調の悪い状態にあったにもかかわらず、取調べ終了時刻が午後一〇時を過ぎた日が一三日((うち、午後一一時を過ぎた日が六日、午前零時を過ぎた日が三日))あり、また、取調べ時間が一日一〇時間を超えた日が一三日((うち、一二時間を超えた日が二日、一三時間を超えた日が四日、一四時間を超えた日が一日、一五時間を超えた日が一日、一六時間を超えた日が一日))あり、その取調べの方法は、前記本件殺人による逮捕前の取調べとともに、被疑者の人権を無視した極めて不当なものであったといわざるをえない。)
よって、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 瀧川義道 裁判官 伊藤紘基 佐々木洋一)
<以下省略>